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報告日:2011.06.28

中央労福協前会長 笹森清さんを偲んで・・・

内容:
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2011年6月4日払暁、中央労福協前会長(連合元会長)笹森清さんがご逝去されました。慎んでご冥福をお祈りいたします。
私は笹森さんが亡くなられたことを、近藤理事長から聞かされ、不覚にも涙が止まりませんでした。
笹森さんは有言実行のロマン(夢)とパッション(情熱)を一生涯持ち続けた方でありました。私たちは笹森さんの爽やかな演説とビジョンに導かれ、長野県の連合運動と労福協運動を進めてまいりました。先日長野県労福協第52回総会を開催しましたが、この総会では笹森さんの「福祉はひとつ」の熱い思いを全員で確認し幅広い視野と運動のスタートとしました。
 私と笹森さんの関係を回顧しますと、1997年10月から連合事務局長そして、2001年の連合会長、2005年10月に中央労福協の会長に就任され、私も連合長野の事務局長から労福協の専務理事となり、笹森さんの薫陶を受け、その活躍の幅も更に拡がって行きました。
笹森さんは約10年前、当時、社会がグローバル化していく中で、市場万能主義、格差拡大など社会経済環境が劇的に変化しているその真っ只中、連合の目指すべき社会像を「労働を中心とした福祉型社会」とする『21世紀連合ビジョン』を掲げ精力的に活動されました。
翌年の2002年4月10日~11日の二日間に渡り、NPO、NGOの皆さんも参加しての大抗議行動は、連合結成以来最大の13,000人を結集しての笹森さんが提唱した「もうがまんできない だまされない 国民総行動」いわゆる『ゼネラルアクション』に私ども長野からも160名が参加しました。 
その後「アクションルート47」で来県され、田中康夫元知事や経営者団体、連合未加盟組織やNPOを訪問し、47地方連合会をめぐる全国行脚を敢行されました。それだけではなく次年度には全産別との懇談会も実施し、そのバイタリティーにはただただ敬服するとともに、私どもにも多大なる影響を与え“長野版の地域行脚”を開始させる原動力となりました。
更に、2003年9月には、外部有識者からなる「連合評価委員会」(通称中坊委員会)を作り、2年間かけて全国各地で聞いた組織内外、特に未組織労働者の声を裏打ちさせるような厳しい評価を敢えて受け止め、連合全体として真摯に甘受することで「組合が変わる、社会を変える!」という国民から「共感の得られる労働運動」として、「連合」が常に黒子に徹して進むべき「ワンストップサービス」の地域活動を、現在の連合運動の方向性を示してくれました。
2005年中央労福協の会長に就任され、「国民の共感の得られる社会運動」として、多重債務のない社会や悪質商法の根絶と貧困のない暮らしの安全・安心な社会をつくる活動、更には、「地域に根ざした顔の見える活動」として、全ての働く人の拠り所としてのライフサポートセンターの設置を打ち出しました。これは生活安心ネットワークによる連帯・協働でつくる安心・共生福祉社会を、私たちの先頭に立って示し、私たちは笹森さんの後を追いかけ、共感して付いて行きました。
長野県労福協としては、笹森さんに2006年と2008年の労働者福祉学校で講師として講演をいただき、2008年の11月には「新しい働き方と地域づくり」をテーマにした長野集会にもご参加いただきました。2009年5月の塩尻エコ・フォーラムには、労福協関係100人が参加し、中央労福協の笹森清会長の「今の日本は、我慢やもったいないという精神をわすれてしまった。便利な生活と、地球環境を守ることとの折り合いを付けていかなくては・・・」との挨拶に多くの方が感動しました。
 また、2007年9月20日の夕刻、池袋JR袋駅東口において、中央労福協の割賦販売法の改正を求める街頭宣伝活動に、私たち47都道府県の代表者も加わり、宣伝活動として街頭署名活動と、チラシ配布を行い国民に訴えました。中央労福協笹森会長の悪質商法追放、割賦販売法の問題点や改正について訴えに、多くの通勤客は納得し足を止めて聞きいっていました。そして2008年の年越し派遣村(湯浅誠村長)では、笹森会長も駆け付け、貧困を可視化することで社会に衝撃を与え、政治を大きく動かしました。 
この国民に共感の得られる社会運動として今正に取り組んでこられたのが、生活困難者の自立に向けて伴走型で支援を行い、一人ひとりに焦点を当てて問題を解決し、就労につなげていくという“パーソナル・サポート・サービスモデル事業”であり、笹森会長が内閣府に提案されたものでした。長野でも労福協が長野県より委託を受け、今年の4月1日に「ながのパーソナル・サポート・センター」をスタート。6月15日に松本、6月22日には上田サテライトを開所し、PS事業が実際の活動としてスタート。正に笹森さんは“パーソナル・サポート・サービスモデル事業”の生みの親です。
私たちは笹森さんの遺志を引き継ぎ、着実に実績を積み上げ、1つのあるべき姿を作り上げていきたいと決意をするところです。
誠に残念ですが2011年1月の構成団体研修会のご講演頂いたのが最後となりました。体調が思わしくなく、内閣特別顧問で多忙であると知りつつもお願いしたところ「長野なら行くよ!!」と快諾していただきました。当日の長野は寒く、ゆっくり戸倉上山田温泉にでも泊まっていただく予定でしたが、“あっという間の”とんぼ返りで何もお礼ができませんでした。
 その後、東北・関東大震災が発生し未曽有の被害の中、原発事故問題では、内閣特別顧問として菅首相の相談役として必死に支えていたとのこと、既に病状も悪化し菅首相とのやり取りも難しかったようだと聞いております。
“誰や在らん!! 出来る事なら今一度「笹森節」を聞きたいもの”と全国津々浦々から笹森さんを偲ぶ声が湧き上っています。 笹森さんのご冥福を改めてお祈りするとともに、その精神と高い志を継ぎ、私たち長野県労働者福祉協議会は今後も「福祉はひとつの」の旗のもとに結集し、労働者福祉運動発展に邁進することを誓います。
いつも「長野の青木さん・・・」と声をかけてくれた笹森さん、どうぞ安らかにお眠りください。そして、私たちの活動を見守って下さい。

長野県労福協 
専務理事 青木 正照

以下関連記事
2006年10月の労働者福祉学校(機関紙238号参照)
http://www.lsc-nagano.or.jp/uploads/kakokatu/20101110134053_4.pdf
2006年10月の労働者福祉学校(機関紙249号参照)
http://www.lsc-nagano.or.jp/uploads/kakokatu/20101110142518_4.pdf
2008年11月の新しい働き方と地域づくりをテーマにした長野集会(機関紙250号参照)
http://www.lsc-nagano.or.jp/uploads/kakokatu/20101110142606_4.pdf
2011年1月の構成団体研修会(機関紙265号参照)
http://www.lsc-nagano.or.jp/uploads/kakokatu/20110523165638_4.pdf
2002年4月の「もうがまんできない!だまされない」総行動
(連合長野4月15日発行)
http://www.rengo-nagano.jp/news/195.pdf